ねこ館長日記

一茶研究者二村博先生が語る新事実

7月22日に、常磐大学人間科学部助教二村博先生をお招きして、第2回の一茶記念館講座を開催しました。二村先生は、一茶研究の第一人者である矢羽勝幸先生の教え子で、一茶や化政期の俳諧を研究されており、著書も多数あります。

今回は、「一茶と鶴老との交流」と題し、守谷(茨城県守谷市)の西林寺住職であった鶴老と一茶の交流を、新資料を交えてお話しいただきました。

一茶の句碑第1号になった「松陰に寝てくふ六十よ州哉」については、松は松平、すなわち徳川幕府を意味し、徳川の治世で、万民が安心して暮らしている世の中を詠んでいると解釈されますが、この句が、鶴老と巻いた歌仙の発句(連句の最初に詠む句)であることはあまり知られていません。

なぜ一茶は鶴老との歌仙の発句をこの句にしたのか。そこを深く掘り下げると、まず、発句というものが、挨拶句=歌仙の開催場所の亭主を褒め称える内容とするのがしきたりであることが、ヒントになります。そして、西林寺の寺宝は徳川家康の肖像でした。

恐らく一茶はこの貴重な家康肖像を見ていて、そこから、西林寺の寺宝をほめ、ひいては徳川の治世をほめ称える句を発句としたのではないか。二村先生はそのように考えています。

たった一つの句ですが、それが生まれるのにも、このようなドラマがあったということが、資料を丹念に紐解いていくと解ります。

ちなみにこの句は、一茶の自信作であったらしく、この句を書いた作品がいくつも残されています。

今回も大変貴重なお話をお聞きすることができました。