ねこ館長日記

一茶と善光寺⑨「上原文路宅跡」

北島書店

うつくしや障子の穴の天の川  志多良 文化十年

 善光寺仁王門の裏手を右に折れ、300メートルほど進むと、写真の北島書店があります。ここは旧北国街道の道筋で、新町と呼ばれる地区でした。

 現在の北島書店の場所は、一茶の門人で薬種商を営んでいた上原文路の家でした。また、その向かいには、文路の縁で一茶の門人となった小林反古の家もありました。文路の家は一茶が善光寺界隈を訪れる際の定宿でした。また、一茶が江戸等に手紙を出す際に取り次ぎもしています。

 文化10年(1813)6月、一茶はお尻に「癰(よう)」という悪性のできものができ、痛みと高熱に苦しみました。この時一茶は文路の家で75日間にわたり寝込んでいます。一旦は死を覚悟するような病状でしたが、なんとか回復することができました。

 冒頭の天の川の句は、寝込んでいる間の七夕の日に、できものから膿が出て、回復に向かった際によんだ句です。

 寝込んでいる間、弟や親戚に加え、門人たちも方々から、まんじゅう、せんべい、こんぺいとうといったお菓子や、そばなどのお見舞い品を持参して駆けつけています。また、何人も医師が呼ばれ、代わる代わる一茶を診ています。とてもにぎやかな病床で、手厚い看病をうける姿からは、一茶の人望がうかがわれます。