ねこ館長日記
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館長のうみです
俳人佐藤文香さんの俳句入門講座
7月26日、初心者の方を対象とした俳句入門講座を開催しました。講師は当初、神野紗希さんを予定していましたが、体調不良のため、神野さんのご友人で、若手俳人の佐藤文香(さとうあやか)さんにご担当いただきました。
初めに、「さくさく句作」と題して、初心者でも簡単に俳句が作れるレッスンがありました。「ハンカチ」、「夏期講習の先生」というお題から、一般的に連想するものより一歩踏み込んだ想像を広げてみるところが第一段階。それを俳句の中七に整えるのが第二段階。そこまでいくと、季語であるお題+中七が出来上がり、そこにハンカチなら5文字の人の名前、夏期講習なら、「先生は」と加えれば完成という仕組みです。
後半は、この仕組みを使って、参加された30名弱のみなさんが1人2句ずつ俳句を作り、披講を行いました。講師の佐藤さんの元気なキャラクターの影響か、爽やかでユーモラスな作品が多く、講評では幾つも笑いが起きていました。
もっとも評価が集まった句は
「ハンカチにまだ張りのある昼休み」でした。
また、佐藤さんに色紙を書いていただきました。館で展示させていただいております。ありがとうございました。
名菊「巴の錦」育成日記
矢羽勝幸先生の一茶記念館講座「四季の一茶」
6月27日、第2回の一茶記念館講座を開催しました。
講師は前回に引き続き、矢羽勝幸先生をお招きして、「四季の一茶」という題でご講演いただきました。
先生は2013、2014年に、同タイトルで、信濃毎日新聞で2年間にわたり、1日1句、一茶の俳句をご紹介する連載をされていて、連載をまとめた『四季の一茶』『続四季の一茶』という本も刊行されています。
今回は一茶の俳句を17個のテーマに沿ってご紹介いただきました。うちいくつかをご紹介いたします。
不便(不憫)さよ豆に馴たる鴨鴎(カモメ)
あるがまま、自然なままを尊しとした一茶は、人間に餌付けされた野鳥を見て、自然の姿の方がいいと言っています。
掃溜(はきだめ)に青むねりその柳哉
「ねりそ」は、柳のようなしなやかな木をそのまま縄として使用したものをいいます。縄として使われ、捨てられた柳の木が、ごみ溜めで再び葉を付けている。逆境に負けずしぶとく生きる姿を一茶は賛美しています。
霜がれや鍋の炭かく小傾城(けいせい)
「傾城」は遊女のことです。軽井沢の追分で詠んだ句で、追分では「飯盛女」が有名でした。小が付いているので、まだ一人前になる前の、下働きをしている女の子が、追分を流れている小川で鍋を洗っている様子です。一茶はそれを橋の上からみて、愛情を込めてこの句を詠みました。弱者に向ける優しいまなざしも一茶の特徴です。
日ぐらしや急に明(あかる)き湖(うみ)の方(かた)
いわゆる一茶調だけでなく、蕉風の正統的な秀句も一茶は残しています。この句は野尻湖を詠んだ句で、ヒグラシの声とともに、急に日が射して明るくなった水面を写生しており、どこへ出しても恥ずかしくない素晴らしい句です。
ここでは紹介しきれませんが、個々の俳句を解説しながら、世に知られている有名な俳句では理解しきれない一茶の作風の特徴を判りやすく解説していただきました。
スウェーデン語の一茶書籍をご寄贈いただきました
6月13日に、信州大学名誉教授の関谷俊行様から、一茶について書かれたスウェーデン語の本をご寄贈いただきました。
本のタイトルは『Tre samtal om främlingens liv i Japan(日本で過ごした外国人の3つの対話)』で、作者はPer Erik Wahlundというスウェーデン人作家の方です。Wahlund氏は1977年に日本を訪れ、一茶旧宅やお墓を見学しました。その際、関谷さんが案内を務めたのがご縁で、翌年著作が送られてきたそうです。内容は2人の人物による対話形式で、日本文化や一茶のふるさと訪問の様子を紹介しています。所々にスウェーデン語に翻訳された一茶の俳句も記されています。
また、関谷さんのご先祖は一茶の友人だった小布施の関谷杜風(もりかぜ)とのことで、杜風や関谷家に関する資料もいただきました。一茶を巡る縁で、新しいご縁が生まれ、たいへんありがたく思っております。
かわいい切り絵のうちわが出来ました
一茶記念館では、企画展「切り絵で描く一茶の恋猫」がはじまりました。初日の今日は作家の横倉絹枝さんによる切り絵教室を開催しました。集まったほとんどの方が初心者の皆さんです。今回は猫の絵柄の団扇作りに挑戦しました。
はじめに黒い紙から輪郭を切り抜きます。通常のカッターナイフより刃先が尖鋭なデザインナイフを使いますが、細かい作業に皆さん悪戦苦闘です。
次に、目や首輪などに色を入れるため、輪郭の裏にトレーシングペーパーを当て、切り抜く形のあたりを付けます。それをうちわに当てて爪でこすり、うちわにも目印を付けておきます。ずれないように写すのがなかなか難しい。
その後色紙を切り抜いてうちわの目印に貼り付けます。貼り付けには木工用ボンドを薄めたものを使用します。はみ出すくらいに塗って、貼った後にぬれタオルでふき取ります。
最後に輪郭を重ね、ドライヤーで乾かして完成です。皆さん横倉さんから、作り方のコツを含め丁寧な指導を受け、作品作りに没頭していました。
今回は横倉さんが切抜き用の型紙から、マット、ナイフまですべて用意していただきましたが、家でも作りたいと、道具までその場で購入される方が多数でした。参加者の皆さんで横倉さん(前列黄色い服)を囲み、自分で作った作品を持って記念写真。皆さん出来栄えに大満足の様子でした。
今後、切り絵教室は7月11日、8月8日の2回開催予定です。
「四季の一茶」展示替えを行いました
一茶と善光寺⑫「康楽寺と往生寺」
花咲くや在家のミダも御開帳 浅黄空 文化十三年
康楽寺は、寛慶寺、西方寺とともに善光寺三寺として重んじられた寺です。長野市篠ノ井塩崎にも同名の康楽寺があり、この寺の本家筋にあたります。塩崎の康楽寺は一茶の父の葬儀をとり行った、一茶と縁のあるお寺です。
文化13年(1816)3月、一茶は上原文路(こちらを参照)宅に泊まり、往生寺で一人でお花見をし、康楽寺をおとずれました。康楽寺では、飯綱町平出の彦坂藤兵衛が家で祀っている親鸞聖人真筆の九字名号(くじみょうごう)「南无不可思議光如来(なむふかしぎこうにょらい)」のご開帳が行われていて、それを一茶は俳句によみました。
さく花の開帳に迄逢にけり 七番日記 文化十三年
往生寺は刈萱上人と石童丸の伝説ゆかりの寺です。善光寺北西の急斜面の山腹にあり、境内からは長野市内が一望できます。一茶も何度も訪れています。この句は上述の往生寺で花見をした際によんだもので、「開帳」は善光寺ではなく、康楽寺での開帳を指しています。
境内には平成15年に一茶句碑が建てられています。「 花の世は佛の身さへおや子哉」、「蝶とぶやしんらん松も知った顔」、「花さくや伊達にくはへし殻きせる」(全て文化15年作)がほられています。
一茶と善光寺⑪「仲見世通り」
重箱の銭四五文や夕時雨 八番日記 文政二年
朝霜やしかも子供のお花売 八番日記 文政三年
現在仲見世通りがある、善光寺仁王門から山門の間は、江戸時代は「堂庭(どうにわ)」と呼ばれていました。お寺の境内という扱いであったため、江戸時代は常設の商店が許されず、仮小屋で営業していました。土産品のみならず、さまざまな日用品も売られ、香具師による興行まで行われていました。
冒頭の重箱の句には「善光寺門前憐乞食」と前書があり、時雨が降る寒い夕方、銭を満足に得られないホームレスの姿をよんでいます。また、お花売の句は、霜が降りるような寒い朝に、本堂の前でお供えの花を売る子どもの姿です。
善光寺には、仏の慈悲と参拝客を求めてさまざまな人が集まりました。その中でも特に立場が弱い人々を、一茶は共感をこめて見つめました。