10月21日、今年最後の一茶記念館講座を開催しました。今回は、中央大学文学部教授の山崎圭先生に「中野代官の幕府領支配と柏原中村家」と題してお話いただきました。一茶のすんでいたここ柏原村は幕府領で、現在の中野市にあった中野陣屋の支配を受けていました。
幕府領の代官は2~3年程度で交代するうえ、5万石あまりの管轄領域に対して、わずか数名の役人がいるだけでした。これは、隣の10万石を領した松代藩の家臣が2000人もいた事を考えると、驚異的なことです。
そのため、安定した支配を行うためには、地域の有力者層の協力が不可欠でした。中野代官は、「郡中取締役」という役職を設けて、有力な豪農などを任命し、村々の訴訟の仲裁役などさまざまな業務を担わせました。
柏原村においては、本陣・問屋を務める中村六左衛門が任命され、その有力分家である中村徳左衛門が、これを代行・補佐しました。
業務の性格上、裁定に納得しない村から非難を浴びたり、代官に対して村々の要求を代表して願い出たりと、支配者と被支配者の間で板ばさみになることが多く、苦労の多い役職であったようです。
歴史の教科書では、近世社会の様相はあくまで一般的な姿として描かれていますが、具体的な実情をつぶさに見ていくと、実際には、このように全国で多様な姿をとっていたと考えられます。山崎先生の講演でその一端に触れていただいたたことで、歴史の奥深さを感じる事ができました。